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三隈川の流れる日田盆地に開けた日田は、
江戸時代には幕府直轄の天領地として日田代官所が置かれた城下町です。
九州各藩に貸し付けた利子により莫大な利益を得て経済的にも豊かになり、
その経済力をもって町は整備され、今でも市街には古い町並みや土塀が残っており、
夏には鵜飼いがおこなわれる情緒あふれる街で「九州の小京都」と言われています。

江戸時代日田には御用達商人が沢山いました。
これらの商家が集中していたのが豆田町です。
今でも県内最古の商家や蔵屋敷が建ち並んでおり、日田一番の観光名所となっています。
豆田町では2月中旬〜3月末日には“天領日田おひなまつり”が行われ、
旧家に代々伝わる歴史をしのばせる雅やかな雛たちが一挙に公開されます。
中には300年前の雛もあります。


月隈公園は慶長年間に小川壱岐守が永山城を築城し、
徳川幕府のころから日田代官の居城となったところです。
今では、その城跡は石垣と堀の一部が残るだけになっています。
毎年10月の第三土曜、日曜には、この月隈公園で“日田天領まつり”が行われます。
天領時代の栄華を再現するお祭りで見ものは日曜日に行われる西国筋郡代着任行列です。
郡代の交代を再現したもので200名の行列が町中を練り歩きます。

■1593(文禄2年) 太閤蔵入地として統治される
■1604年頃 大名小川壱岐守光氏が月隈山に丸山城を築き、城下町丸山町を形成
■1618(元和4年) 石川主殿守田忠総が入部、城名を永山城に改め、城下町を永山町に改名
■1647〜(慶安年間) 町は碁盤目状に整備、豆田町と呼ばれるようになった。以後町割と水路は殆ど変わっていない。
■1682(天和2年) 豆田絵図では上町・下町南北166間、東西59間と記載されている
■1686(貞享3年)より1686(慶応4年)までの200年間代官・郡代の支配が続く
■1782(天明2年) 儒学者広瀬淡窓生まれる
■1805(文化2年) 豆田町長福寺学寮を借りて講義を開始
■1856(安政3年)11月、享年75歳にて広瀬淡窓没す